夢がなければ道は描けない

キミには笑ってミライをみてほしい

生まれてきてくれてありがとう、の日

 

7月11日に加藤シゲアキさんが30歳になりました。

お誕生日おめでとうございました。

 

いろいろあって当日はお祝いできなくて、もちろん心の中で「しげおめでとう〜」とは(一瞬だけ)思ったけれど、そこからはすっかりそんなこと忘れて過ごした1日でした。そればかりはそういう時期だったのでやむを得ず、でもなあ、わたしなりに何か書いておこうかな、なんて思ったり思わなかったり。ということでものすごく遅くなったし超今更だけれど、個人的におめでとう、を言いたいだけ、ということで記事にしてみます。

 (作ったくせに何も書かずに放置し続けたこのブログ、おそらく2年余りの時を経て初記事投稿となります。記念だし、うん、丁度いいかもね。)

 

 

正直な話、別に自分の好きな人が29歳から30歳になったってそんなの大きな変化ではないんだ。変わらずに彼は可愛いくてかっこよくて、大人っぽくて眩しいところも子どもっぽくて愛しいところも、何もかもそのまま進んでいくだろうし、それと同時に確かに変化し続けて少しずついろんなものを積もらせて、そうやってずっと進んできたようにきっとこれからも。

でも心の底からおめでとうを言いたいし年に1度のその日はやっぱり特別なんだと思う。だからこの節目の年にきちんとお祝いできなかったのは少し寂しいような、悲しいような。

 

しかしそれより何よりも、20代で大きく世界を広げた彼が30代、どんな景色を見せてくれるのか、どんなところへ連れて行ってくれるのか、楽しみで仕方ない。期待しないわけないじゃない。「もっと高いとこに行く」と、あれほど確かなことしか口には出さない彼が、きっぱりと観衆を前に放った言葉の重さは如何程なものか。彼のプライドと自信と期待と誇りと、いろんなものを映しているのかな、とか勝手に思って。

 頼もしい人になったんだ、いつのまにか、あの華奢でうまくリズムの取れない(それは今でも?)彼の背中は、内からも外からも鍛えられて肉付けされてすっかり逞しくなっているんだ、いつまでも過去の彼にとらわれて彼を嘗めてちゃいけないな、と。それを気付かされたのがWhiteでの本編ラストの彼の挨拶でのこと。気付くの遅くてごめん、て。

 

苺のないショートケーキ、具のないおでんと揶揄された彼のことを、一番そう思っていたのは自分なんだと気付かされた。過去ばかり見てる人じゃなかったんだ。もちろん過去も見てるけど、彼はきっと「忘れてはいけない」と背中にいろんなものを背負い続けて、そうでありながら真っ直ぐに未来だけを見ているのかな、と。それが彼らしいといえばそうだし、変わったといえばそうなのかもしれない。そんなことは誰にも分からないし、ましてやただの一ファンであるわたしになんて分かるはずもないけれど。ああ好きだなあ、これからもついていかなきゃ、とそう思わせてくれた。

30歳のお祝いのはずが2年前の懐古をしているのだけど、これ無しに彼への愛を語ることは出来るのだろうか、と。

活動がないとすぐに彼の頼もしさを忘れてしまって、それでも毎回気付かせてくれるから、これからもそんな愛で彼を応援していこうと思います。

 

要はこれからの活躍に、益々期待しています。という、ただそれだけのことでした。何なんだろうこの記事は。

 

演技の仕事も立て続けに発表になり、きっと必ず絶対(圧力)水面下で動いているであろうチュベローズの完成を静かに待ちながら、ただただ彼の健康と多幸を祈るばかりです。

そして私自身は、そんな彼を応援している、好きでいることに恥じないよう自らのことに心血を注ぎたいと思います。

加藤シゲアキさん、30歳おめでとう。

生まれてきてくれて、ありがとう。

 

30代の貴方には、

安定したリズム感の獲得を期待して――